「花田清輝ルネッサンス・プロジェクト」マニフェスト
菅本康之/藤井啓
20世紀が終わった。様々な問題を、今この21世紀に押しつけながら。もちろん、世紀による時代区分は「元号」と同じように便宜的かつイデオロギー的なものにすぎない。だが、20世紀は、そのなかに人類史上未曾有な経験を含んでおり、その意味でこの世紀にはいかなる時代とも違った時代認識が必要であることも確かなのである。
20世紀はまさしく「戦争と革命」の時代であった。少なくとも、二つの「世界大戦」で、およそ4千5百万人以上のものが命を落とし、レーニンによる「ボルシェヴィキ革命」から、毛沢東の「文化大革命」、そしてポルポトの「社会浄化」にいたる試みのなかで、数千万人が虐殺されたり、粛清のなかで命を奪われていった。「ホロコースト」と「強制収容所」が表象する「全体主義」の支配。ソ連の崩壊による「冷戦構造」の終焉は、ジャン・フランソワ・リオタールの言う「大きな物語」の終わりそのもの、「革命」の挫折と敗北を告げているかに見える。
では、「社会主義」の敗北と「自由主義」の「勝利」は、人びとに幸福をもたらしただろうか。答えは、断固として否である。「冷戦構造」崩壊とともに世界各地で「民族」紛争は激化し、「グロバリゼーション」の名のもとに行われている「世界市場化」は、人類にとってかつてなかったほどの貧富の差を生み、なおその格差さを拡大させつづけている。とはいえ、われわれは、かつての「社会主義」を回顧しているわけではない。むしろ、大量虐殺と大粛清を産み出した「社会主義」は根底から乗り越えられなければならないと考える。われわれのうちの一人は、コミュニストであるが、それは、「ソ連」の幻想に導かれたわけではなく、ユルゲン・ハ−バマスのいうように「『現実の社会主義』が存在したが故にそうなったのではなく、それにも拘わらず、社会主義者になった」のである。したがって、われわれは、「世界資本主義」の波動にも抵抗するとともに、20世紀の「社会主義」にも反対する。今なお問題なのは、波動がやってくる水平線のかなたに揺らめく「波光」を、眩しいほどの「閃光」としての「革命」にスパークさせることだ。
では、水平線のかなたに揺らめく「波光」をどのようにわれわれのうちにまねきよせスパークさせることができるであろうか。われわれが、自分自身の子宮から自力で生まれでたかのような「オイディプス的な空想」に陥らないかぎり、とるべき態度はおそらくそれほど多くはない。われわれは、自分たちが生まれ、育った時代がどんなにおぞましい<出来事>を夥しくはらんでいたとしても、20世紀という時代そのものを全否定することはできない。「歴史」の外部には、出ることはできないのである。とすれば、われわれがとるべき態度のそのひとつは、間違いなくドイツのマルクス主義批評家ヴァルター・ベンヤミンのいう「史的唯物論」の立場、あるいは、われわれがこのプロジェクトにおいて「覚醒」を試みる花田清輝のスタンスにほかならない。
ベンヤミンは、「唯物史観」=「進歩史観」に抗し、自らの「史的唯物論」を対置した。ベンヤミンの歴史観は、「進歩史観」への批判と「歴史」の焦点となる局面、「根源」を救出し再構成する行為によって特徴づけられる。ベンヤミンは、未来に「楽園」があるという「進歩主義」を拒否し、「過去」の可能性へと大胆な跳躍を試みる。ベンヤミンは自らのそうした歴史観の転倒を、たとえば、次のように定義している。
歴史観におけるコペルニクス的転観とは次のようなものである。これまで私達は《かつてあったこと》を固定的な点と見做し、現在を見るときには、この固定したものの方へと手探りしながら認識を導き寄せようと努めていた。しかしいまやこの関係は転倒されねばならない。かつてあったことは、弁証法的に急変し、覚醒した意識の閃きにならねばならない。政治が歴史に対して優位を占めるのだ。[歴史的事実という]データは、まさにいま私たちにふりかかってきた何ものかになる。そしてそれを確定するのは回想(Erinnerung)の仕事である。……かつてあったことについての《まだ意識されていない知》というものが存在するのだ。そしてその知の搬出は、覚醒の構造を持っている
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